社内起業に挑み、初回で成果を出した①

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西鉄久留米駅の電照看板


30年近く勤めていた地方新聞社ではもっぱら営業畑を歩んで来たのですが、2000年代後半からのネットメディアの台頭ですっかり斜陽化の一途を辿るようになりました。部数は最盛期と比べ約6割、広告の売り上げは半分以下に落ち込む始末。このまま既存部署に居ても仕事が厳しくなるばかり、事実、20年前は相手にしてもらえた広告クライアントからは門前払いを受けるようなりました。そんな状況を打開するため新しい事業に取り組もうと社外との業務提携による新しい媒体事業を計画する事になったのです。

新聞社は取材から編集、営業から印刷、販売、宅配まで全てを自社バリューチェーンで完結させている垂直統合型のビジネスモデルです。高度成長期、都市人口が増え、所得の伸びと比例するように部数、広告売上が伸びている時期は収益を全てグループで取り込む事ができたシステムですが、シュリンクダウンしている現在、その仕組みが逆に経営の大きな足かせになっているのです。そこで私は2013年春、新興メディアグループとして大きな成長を遂げているリクルート社との提携を模索し始めました。

社内起業に挑み、初回で成果を出した②

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創刊号、久留米駅での街頭配布

提携は福岡県人口第3の都市、久留米を舞台に飲食関連の広告開発でリクルート社と新聞社が提携するというもの。全国初のダブルネームのホットペッパーの誕生です。

当時、リクルート社に対する新聞社内の印象は極めて厳しいものでした。新聞広告のドル箱だった求人広告を始め住宅不動産、中古車、結婚式場など新聞社が生業としていたジャンルの広告ソースを、ジャンル特化型情報誌という形で根こそぎ奪取して行ったからです。「お前は騙されている」「奴らは儲けるだけ儲けて我が社には何の利益も残らない」などリクルート社に市場を奪われ、打つ手が無かった先輩諸氏は9割9分反対でした。思い起こせば、時代の流れで仕方がないことではありますが、未知の存在に対する恐怖が社内には渦巻いていたのだろうと思います。

生活(お金)VS時間のマインドシェア構図変化について

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結婚(25)と子供を持つ時期(27)、マイホーム購入(32)などライフイベントの節目が経過する中で、子供(一人)の独立、住宅ローンの完済の時期になり日々の生活とそれを贖うお金の問題から徐々に開放されて来るようになりました。また、親からの相続や資産運用の状況などを総合的に見てみると「アーリーリタイア」が現実的になりました。

しかし、完全リタイアするつもりは毛頭なく、サラリーマンとしての働き方から、リスクを取れる範囲で自分でビジネスをしたいという思いがここ1年ほど強くなってきたのです。このまま、サラリーマンを続け60歳で定年、あとは再雇用でアルバイト並みの生活・・・よりも、もっとこれからの10年を面白くエキサイティングにできないかと考えました。

今思い返せば、結果的に無意識のうちに謂わば「サラリーマン人生の終活」をここ4~5年で準備してきたことになります。5年ほど前に会社での新規事業を当時の上司と二人で立ち上げたことが始まりでした。

52歳にして、シンプルに生きたいと思いアーリーリタイアしました。

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Norshore of Fukuoka


先月末、29年勤めた会社を辞めました。

かつて講談社から発行され、最大部数公称25万部を誇った写真ジャーナリズム雑誌「DAYSJAPAN」休刊のニュースが飛び込んできました。

同社社長曰く「届けたいと願った記事が、若い世代の雑誌離れが進み読まれない」「定期購読者の高齢化」とのこと。紙の雑誌や新聞はどれだけ良い仕事をしても 稼ぎ方がアナログな限り、読まれることも、社会への影響力も限定されるということを知らしめた象徴的な出来事だと思います。

老舗の地方新聞社に新卒で入社し(新聞記者ではありません)、それなりにキャリアも積んできたつもりでしたが、今夏、思い切ってリタイアの道を選びました。正確に言うと早期退職を選択、志を同じくするパートナーとビジネスオーナーとして事業を起こす道に進むことになりました。

奇しくも平成と共に社会人をスタートさせ、平成と共にサラリーマンを卒業と相成りました。

安定サラリーマンから、ビジネス界の荒波の中に小舟で漕ぎだすに至ったこれまでとこれからのことをお伝えできたらと思っています。よろしくお願いいたします!